島根県益田市 妙法寺聖徒団団長
蔵本知宏
少し前のお話です。
「お上人、息子がおかげをいただきました。護られました。ありがとうございました。」
少々興奮気味にお電話を下さったお檀家の奥さん。この方は、信仰心がとても篤く、毎月都会におられる息子さん娘さんご家族に、倶生神月守を送っておられました。詳しくお伺いすると次のようなことでした。広島で運送会社に勤めておられた息子さんが、見通しの良い道路を走っていると、対向車線を走っていたトラックを追い越そうと、突然乗用車がトラックの後ろから飛び出して来たそうです。まだ少し距離があったので、息子さんはスピードを緩め、乗用車が車線に戻るのを待ったのですが、車線に戻る時にトラックと接触してしまい、乗用車は回転しながら息子さんの方へ向かって来たのだそうです。
「あっ、ぶつかる。ダメだ!」
ぶつかった瞬間はよく覚えてないそうですが、気付いた時には両者の車は横転して大破。
「助かった。動ける!」
周りの人たちが車から引き出してくれたそうです。相手の運転手も車から引き出してもらい、お互いしばらくはただ呆然自失。
「お前何してんだ。死ぬかと思ったぞ。」
相手は若者でした。
「申し訳ありません。許して下さい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
泣きながら何度も謝る若者に、怒りや興奮が少しずつ治まったそうです。首から下げた小袋を握って泣いていた若者に、
「その袋は何?」
「おばあちゃんがくれたお守りです。仏様に護ってもらえるから、必ず首から下げて持っていろって。子供の頃からずっと持たされてたのですが、今回はなんか自然に握ってました。」
そのお守りを見せてもらってビックリ。それはまさに、奥様が毎月この息子さんに送っておられた月守りだったのです。
「それ私も持ってるよ。こんなことがあるのかね。いや驚いた。不思議だわ。」
母親が送ってくれる倶生神月守を、言われるがままに財布に入れていた信仰心のない息子さんも、さすがにこの時は「俺も仏さんに護られたのかな」と、有り難く感謝したそうです。
しかし、その後奥様が亡くなられてからは、月守りを受けられることはありませんでした。ところが、奥様の七回忌をお寺でお勤めした時のことです。
「お上人、以前お袋が送ってくれていたお守りが、また欲しいのですが」
突然の申し出に少々驚きましたが、
「どうされました?」
「実は、六十五歳で会社は定年になったのですが、七十まで働きたいと、色々仕事を探していたのです。やっとタクシー会社にパート採用されたのですが、これがノルマや何かでなかなか大変でして・・・。十五人一緒に入ったのですが、三ヶ月で残っているのはたった三人ですよ。私も無理かなと思っていたら、この間夢にお袋が出ましてね。」
「ほう、お母様何か言われたのですか。」
「それが笑いながら、大丈夫大丈夫って。」
「それだけですか?」
「そうなのです。でもその時に思い出したのですよ。お袋が送ってくれていたお守り。」
私は、「これは倶生神(ぐしょうじん)月守といって、私たちがお母さんのお腹の中に生命を授かった時から、私たちの両肩に宿り、ずっと護ってくれる神様のお守りです。この神様はその人だけしか護りません。ですからお母様はご家族分の数のお守りを送っておられたのです。
そして毎月の盛運祈願会において、ご先祖様のご回向と皆さんの健康祈願をされておられたのですよ。Fさんもお母様と同じように出来ますか?」と尋ねると、
「はい、お上人私は、信仰のことは何も分かりませんが、きっとお袋は、そのことを私に教えたかったのだと思います。これからも色々と教えて下さい。是非よろしくお願いします。」
それからFさんは信仰をする様になり、同期の中でたった一人七十歳まで無事に勤め上げられました。現在は奥様やご家族と穏やかな毎日を過ごしておられます。もちろん月守りも持ち続けておられます。先輩に、お題目の縁は必ずどこかで繋がると、教えていただいたことを思い出した出来事でした。そして、親はいつまでも子供のことが心配で、ずっと見守ってくれる存在であると、改めて思い知らされました。
御本仏お釈迦様が、いつでもどこでも、子供である私たちを見守って下さるように、親もいつでもどこでも、子供のことを見守ってくれているのです。もちろん霊山浄土からも。
〽世を想う 三世諸仏の慈悲心は 親の心と 変わらざりけり
私たちは、常に仏様や諸天善神、ご先祖様から護られているのです。そのことに素直に感謝して、それを形に表すために、報恩のお題目を唱えましょう。そして、困った時や苦しい時には、仏様や諸天善神、ご先祖様に祈りのお題目を唱えましょう。必ず護ってくれると信じて!
「人の心かたければ、神のまほり必つよしとこそ候へ。是は御ために申ぞ。」
日蓮大聖人様のお言葉 『乙御前御消息』
イラスト 小川けんいち