日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#056
人生 苦と楽に学ぶ

島根県出雲市
法恩寺聖徒団 元団長
橘 亮秀

テレビの長寿番組に、時代劇「水戸黄門」があります。四十二年間高視聴率で放映され平成二十四年にシリーズは修了したものの、現在新シリーズがスタートしています。人気の秘密は「勧善懲悪」といって、悪人をこらしめ世直しをする正義の味方であり、番組の終わりに「この紋所が目に入らぬか!」掲げられた印龍とこの決め台詞で私たちは留飲を下げるのでしょう。

番組もさることながら、主題歌「ああ人生に涙あり」もいい歌詞だねと共感するひとが多いようです。一番と四番を紹介します。

<一番>
人生楽ありや 苦もあるさ
涙の後には 虹も出る
歩いてゆくんだ しっかりと
自分の道を ふみしめて

<四番>
人生涙と 笑顔あり
そんなに悪くは ないもんだ
なんにもしないで 生きるより
何かを求めて 生きようよ

人生 苦と楽に学ぶ

如何でしょう。主題歌の名前は知らなくても、おもわず口ずさむ人生の応援歌だと言った人がいました。

二千年以上前に書かれた中国の書物に、「人間万事塞翁が馬」ということわざがあります。

「昔、中国の北辺の老人(塞翁)の飼っていた馬が逃げたが、後に立派な馬を連れて帰ってきた。老人の子がその馬から落ちて脚を折ったが、そのために戦争に行かずに済んだ」
【訳】世の中に起こる悪い(苦)ことも、良い(楽)ことも予期できず、それに振り回されてはならない。

私たちが、生きてる中でいろいろな人生訓、格言に出会いますが、それぞれの人生のタイミングによって受け取る印象や、その言葉の重みが変わります。この言葉を座右の銘にしている人も多いのですが、最近わたしもその一人になりました。

又、同じ意味合いですが「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し」・・・交差する縄の表裏を例えて、苦と楽は表裏一体となってやってくるものだという意味ですが、苦と楽は相対関係にあることを端的に表しています。

日蓮大聖人「四条金吾殿ご返事」

苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや

【訳】苦を苦とさとり、楽を楽と心を開きなさい。苦しみにつけ楽しみにつけ、苦楽共に思い合せて南無妙法蓮華経としっかりと唱えなさい。これこそ法華経を信じる喜びを、自分自身で受け取る事なのです。

人生 苦と楽に学ぶ

苦とは一体何でしょうか?苦とは、自分の願いに反することが起こることをいいます。仏教では、人生の苦しみを大きく四つに分けたもの(生老病死)を四苦といい、更に四つを加えたもの(愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦)の八苦をいいます。天下を統一したあの徳川家康でさえ、人生の苦しみを「人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし」と言っています。若くありたいのに歳を取る、健康でいたいのに病気になる、生きたいのに死ななければならない、愛されたいのに愛されない、欲しいのに手に入らない、嫌われたくないのに嫌われる・・・これが苦の正体です。

この問は光と闇、生と死、善と悪、苦と楽というように、その性質を異にするものが一対となって成立する二元相対の世界です。一方のみを取って一方は捨てる訳にはいかないのです。ですから苦を排除した楽はありません。この世で得られる幸福は苦の共存する楽のみです。

今一度思い出してください、私たちは魂と心と肉体の三者によって作られています。成長する過程で魂の存在は忘れられ、自分を心と肉体の存在であると思い込んでいます。苦の原因をつきつめればこの事にあります。苦難は私達に与えられた魂の成長だと考えてみたら如何でしょうか。

戦国時代、郷上(安来)の武将、山中鹿助(鹿介)は尼子家再興のために「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は有名です。これも命をかけ魂に語りかけたのでしょう。私たちの人生には色々なことがありますが、苦難にも決して逃げないで、お題目に絶対の信を持って唱えるとき、肉体的物質的満足を求める人生から、魂の求める人生に変容したことを実感できた時こそ、法華経信仰の有難さが身にしみるのです。

※この記事は、教誌よろこび令和2年1月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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