日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#046
南無妙法蓮華経があれば大丈夫

東京都日朝寺聖徒団 副団長
尾崎 妙翠

明けましておめでとうございます。本年もお題目の輪がひろがる素晴らしい年となりますよう心よりお祈り申し上げます。

私は三年前にお坊さんになりました。お寺に生まれ、「お寺は遊ぶ場所が広くていいなぁ。庭も広いし、本堂ででんぐり返しも出来ちゃう」と無邪気に思いながら、のびのびと育ちました。覚えているのは、父にいつも「このお守りを持って、南無妙法蓮華経って三回唱えれば大丈夫だよ」と言われていたこと。だからよくオバケが出そうな怖い夜には、「南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!」と三回お唱えしていました。気が付けば、これが本当に身についてしまいまして、今も何か、緊張した時や地震で怖い時も、自然にお題目をお唱えするようになっています。

南無妙法蓮華経があれば大丈夫

数年前、まだお坊さんになる前のこと「そろそろ両親も高齢で大変そうだし、何か手伝えないだろうか…と考え始めたのですが、それまであまりお寺を手伝ってこなかったので、何をしていいか分からない、聖徒さんに会うのも気まずい、本堂に上がっても、とても居心地が悪かったんです。とりあえず空いてる席に座って、お経を読んでみましたが、上手く読めないから、声を出すのも恥ずかしい。だから、みんなはじめは声を出して読むのは恥ずかしいだろうと思っていたのに、初めからすごく大きな声で唱えた人がいました。それは私の高校時代の友人、ウッチャンです。

彼女はとても元気のよい天真爛漫な女の子でしたが、就職してから、「心の病気」になってしまいました。気分の浮き沈みがはげしく、高い時には自分を止められないほど活動的に、低くなると、部屋に閉じこもり、死にたいと思ってしまう程でした。そんなウッチャンが私によく電話をかけてくるようになりました。色々な報告や相談なのですが、話し出すと止まらない。私は「今からテレビを見る予定だったのになぁ」とか「疲れてるから面倒だなぁ」と思ってしまう時もありました。でも、悩んでいる友達を放っておく訳にもいかないと思って、お付き合いをしていました。

でもウッチャンは、そんな私を信頼してくれて、「宗派は違うけど、いつも話を聞いてくれるから私の『寂聴』さんだよ 」と言ってくれたり、感謝しているとまで言ってくれるのです。何か月も経つうちに、私はだんだん「話を聞くのが面倒だ」と思っていた自分がはずかしくなり、いつの間にか親身にウッチャンの話を聞くようになっていました。そして「気分が不安定な時は南無妙法蓮華経って三回言ったら大丈夫だよ」とアドバイスもするようになっていました。

ある日「気分転換がしたい」と言われた時に「今日はちょうど祈願会があるから一緒にお経を読もうよ」と声をかけ。それから、お寺の行事にも時々 参加してくれるようになりました。ウッチャンが来るとなったら初めは居心地が悪かった本堂も、読んでいるお経のページを隣で私が教えなきゃいけないし、自然と私も一緒に参加するのが当たり前になりました。

南無妙法蓮華経があれば大丈夫

そしてウッチャンと読む「お自我偈」が終わりに差し掛かったころ 「あぁ、ウッチャンの力になってあげているつもりでいたけれど、逆だった。ウッチャンのおかげでお題目を人に勧められるようになったし、嫌だったお寺の行事にも自然に参加出来るようになったんだ。ウッチャンが私を導いてくれた仏様だったんだ」と気づくことができました。

その後、信行道場へ入ることが決まりウッチャンから届いた葉書には「いつもありがとう、頑張って」という内容の最後に「また一緒にお題目を唱えよう」と書いてありました。

つねみずかねんす、なにってか衆生しゅじょうをして 無上道むじょうどうすみやかに仏身ぶっしん成就じょうじゅすることをせしめんと

如来寿量品第十六

仏様はいつも私たちを見守ってくれています。色々な手段を使い様々な人を通して私たちを仏の道へ導いてくださっているのです。仏様の大慈悲の心を、私たちが受け取る心を持った時、すべての出来事が有難いと思えるのです。

いつでも、どんな時でも、「南無妙法蓮華経」があれば大丈夫です。今年も倶生神月守を着帯し、皆でお題目をお唱えして参りましょう。

※この記事は、教誌よろこび平成31年1月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

pagetop

TOP