日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#037
合掌からはじめましょう

千葉県南房総市 全昌寺聖徒団団長
亀井 教見

現在日蓮宗では「いのちに合掌」をスローガンに掲げていますが、「合掌」と聞くといつも思い出すことがあります。それはとある本山のお寺で小僧として修行をしていた時のこと。ある日お通夜があり、先輩上人が導師をする補佐役として一緒に出座しました。法要がすすみ、お題目を唱える時にその先輩がこうお話しされたのです。

「只今より、日蓮宗の宗儀に則り、お題目・南無妙法蓮華経をお唱えし、故人にささげます。ご参列の皆様におかれましても、右の掌、左の掌を合わせ合掌していただき、ご一緒に南無妙法蓮華経とお唱え下さいますよう、お願い申し上げます。」随分と丁寧にご案内されていたので、私は気になって帰りの車で先輩に聞いてみました。するとこう話してくれました。

合掌からはじめましょう

「昔、普通に『合掌してお題目をご一緒にお唱え下さい』って言ったら、通夜振舞いの席で、お通夜に参列した小学五年生くらいの女の子から、『お坊さん、なんでお通夜なのに歌を歌うの?』って聞かれちゃってさ。その子は『合掌』って言ったのを、歌を歌う『合唱』と勘違いしちゃったんだよね。それから子供にもわかるように、『右の掌、左の掌を合わせて…』って言うようにしてるんだ。」

先輩はその女の子のことをさらに話して下さいました。その女の子にこう伝えたそうです。「指がなんで五本あるかわかる?『あ・り・が・と・う』の五文字を伝えるために五本の指があるんだよ。右の手のありがとうと左の手のありがとうを合わせて、今までおじいちゃんがしてくれたこと、お年玉や誕生日プレゼントをくれたこと、優しくしてくれたり笑わせてくれたり、たくさん良い思い出をくれたこと、色んなことへのありがとうを込めて、おじいちゃんのために明日のお葬式でも合掌してお題目を唱えてね。」

すると、その次の日のお葬式ではちゃんと合掌をして一生懸命お題目を唱えてくれたそうです。注意して見ていたら、その女の子は、出棺の時、収骨の時、その場にいた誰よりもしっかりと手を合わせていたそうです。

時が流れ、私も無事に小僧を卒業し、日蓮宗僧侶となり、多くの方々のお通夜やお葬式、ご法事、ご祈祷等に携わるようになりました。私も先輩の真似をしてお題目の前になるべく丁寧にご案内をし、参列の方々みんなで合掌してお題目を唱えてもらうようにしております。先輩が出会った女の子の話を含め、私が日々僧侶として毎日を送る中で感じることは、合掌して祈りをささげるというのが信仰の第一歩であるということです。

合掌からはじめましょう

「信仰」と聞くと堅いイメージや難しそうな印象を受ける方がいらっしゃるかもしれませんが、それは誤解です。私達日蓮宗の信仰・南無妙法蓮華経の信仰は、心を養うことであると言えます。素直に感謝できる心、幸せを感じることができる心、誰かに優しく微笑み、語りかけ、誰かのために行動ができる心。誰もがもともと持っている善なる心を養うことができるのが、お題目の信仰です。

法華経の一節にこうあります。「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道(願わくはこの功徳をもって普く一切に及ぼし、われらと衆生と皆共に仏道を成ぜん)」この一節は、特定の人のためだけでなく、すべての人々の幸せを願うという仏教の根本を説いており、非常に重要な経文です。

他の人の幸せも祈ることができる心を養うこと、それがお題目信仰の到達すべき理想であると考えております。お互いに合掌し合い、お互いの幸せを祈ることができる社会、そして、皆が毎日笑顔で安心して暮らせる世界。「そんなのは小説や映画の中だけのおとぎ話に過ぎない」と鼻で笑う人がいるかもしれません。しかしそれは決して夢物語ではなく、私達の行い次第で現実のものとすることができます。

合掌しお題目を唱える時、ほんの少しでも構いません。周りの方々の幸せも祈って下さい。例えば盛運祈願会に三十人参列していたとして、それぞれが自分のためだけにしか祈っていないと、それはどんなにがんばっても一の祈りでしかありません。しかしそれぞれが自分のため他のみんなのために祈っていると、三十の祈りとなります。それが、身近な同志、地域の同志、さらには日本全国の同志、世界の同志のためとなると何万、何十万、何百万、何千万、何億、何十億もの祈りとなります。それはまさに日蓮大聖人が「衆流あつまりて大海となる」(撰時抄)と述べられている通りです。

私が好きな歌に福山雅治さんの『生きてる生きてく』という歌があります。その中にこんな歌詞があります。

「大きな夢をひとつ持ってた。恥ずかしいくらいバカげた夢を。そしたらなぜか小さな夢がいつのまにか叶ってた。」

「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」の大きな理想を祈りお題目を唱える日々を送っていると、不思議なことにいつの間にか自分自身の願いが成就しております。そのはじめの一歩は合掌です。そしてその一歩を進んだ先には、九識霊断法の神秘、倶生神月守のご守護といったお題目信仰の世界でしか味わえない幸福が待っています。

しかし、そこで立ち止まってはいけません。自分だけの幸せで終わるのが仏教ではありません。さらにその先の向こうに広がる「皆共に仏道を成ぜん」の大理想を目指し、お題目の輪を広げていく次の一歩、倶生神月守のご縁を弘めるさらに次の一歩へと踏み出さなくてはなりません。

すでに日蓮大聖人によって幸福への道は開かれております。その道の門をくぐる第一歩こそが合掌です。まずは合掌からはじめましょう。そして、倶生神月守を胸に抱きお互いの幸せを願ってお題目をお唱えし、倶生神月守・お題目の輪をどんどんと広げ、理想の実現に向け共に精進してまいりましょう。

※この記事は、教誌よろこび平成30年2月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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