日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#007
いのち・合掌・今の自分

~節分を迎え、新しい季節に生命の意味を思う~

日蓮宗霊断師会 総務部 総務課長
栃木県さくら市妙福寺聖徒団団長
野澤 壯監

いのち・合掌・今の自分

立春と節分

毎日寒い日が続きますが、全国の聖徒の皆さまには、ご清栄にて三秘正信ご精進のことと存じます。

各地で朝晩の寒さに震え、北国ではまだ厚い雪に覆われながらも、今月は早や立春を迎えます。そしてその前日が節分です。

そもそも節分とは、四季の始まりの立春・立夏・立秋・立冬の前日のことをいいます。季節の変わり目に当たり、季節を分けるという意味で、節分というのだそうです。

江戸時代以降は、節分は、特に立春の前日を指すようになりました。冷たい冬が終わって土中の草花が芽を出し、冬眠していた動物たちも一斉に活動し始め、新しい生命が生まれる季節だからでしょうか。

節分と邪気払い

一方、こうした季節の変わり目には、天地自然の中に邪気が生じると古くから考えられ、その邪気を追い払うための行事が、全国各地で行われ受け継がれて来ました。

節分追儺式(せつぶんついなしき)―豆まき―はその代表例です。豆は「魔滅(まめつ)」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあります。黙って撒くのではなく、邪気払いの呪文でもある掛け声をかけることが重要です。通常は「鬼は外、福は内」ですが、地域や寺社によって独特のバリエーションがあります。さらに撒かれた豆を自分の数え年の数だけ食べる習わしもあります。体調を壊しやすい季節に、滋養のある大豆を、実年齢より一つ多く食べると、身体が丈夫になり、風邪などの病気に罹りづらいと考えられたようです。

無病息災はあらゆる人の願いです。それを季節の変化になぞらえながら、家族や地域のみんなで楽しめる行事に作り上げて来た先人の智慧に、現代人はもっと敬意を表すべきと考えます。

生命を守ることの意味

私たち誰もが健康を願うのは、すべての人に共通した願いをもってこの世に生まれて来ているからです。日蓮大聖人様は、末法にして妙法蓮華経の五字を弘ん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非んば唱へがたき題目也
(諸法実相鈔)

と述べられ、私たちは皆この不安な世の中に御題目の信仰を弘め、人々に平安をもたらすことを願って生まれて来た地涌の菩薩であるとお示し下さっています。

合掌の意味

日蓮宗宗門運動~合掌礼の実践

そして今、日蓮宗では、あらゆる機会に一人でも多くの人々に「南無妙法蓮華経」の御題目を唱えさせようと、互いに合掌して敬い合う「合掌礼」の実践を推し進めています。

合掌の意味

合掌は、古くから行われて来た敬礼法の一種であり、やがて尊い存在である仏様や菩薩に礼拝する際の礼法になりました。

右手を清浄な世界(仏の世界)、左手を不浄な世界(衆生界)に、また五本の指をそれぞれ地・水・火・風・空の五大(宇宙を構成する元素)とみなします。合掌はまさに仏の五大と衆生の五大が一体化した成仏の相をあらわしているのです。私たちは合掌によって、人々の心の奥底に密かに存在する仏様の種(仏種)を敬い、礼拝し合い、互いに仏様の心と働きを磨き出して、現実の人生の上に成仏をあらわすのです。

合掌は成仏への第一歩

御本仏様の仏種である妙法蓮華経の五字を受持することが成仏への手段です。受持は「南無」の意味であり、私たちが仏様の子であると悟り、仏様のように行い、他の人々を導き、幸せを祈る菩薩行を行うことです。合掌はその最初の第一歩であり、自らの信仰の基礎作りなのです。

釈尊因行果徳の二法は、妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給ふ
(如来滅後五五百歳始観心本尊鈔)

お祖師様がお示しのごとく、成仏とは、何か特別の姿形に生まれ変わることではありません。人生の本来の願いを、日々の生活の中に実現していくことに他なりません。御題目の信仰に精進し、社会人として誠実に生きる人は、知らず知らずの内に、その生き方の中に自然に仏様があらわれて来るのです。

全国聖徒の皆さまが新しい季節を迎え、今改めて自らの生命の重さ、出会った信仰の尊さに思いを致し、充実した春を迎えていただけますよう、心から念じて止みません。

イラスト 小川けんいち

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