日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#006
生かされている命

~みんなが仏の子~

日蓮宗霊断師会 教宣部 教宣課長
和歌山県和歌山市 妙宣寺聖徒団団長
蘆田 惠教

生かされている命

今日の日本人は寿命がどんどん延びて、男性の平均寿命も八十才を越えました。女性は八十六才、それは食生活の向上や医学の進歩のおかげであります。日本は世界でトップの長寿大国。大変喜ばしい事ではありますが、同時に病気を抱えている方も増加しております。高年齢による体の不具合や生活習慣病、また昔は無かった新しい病気の数も増えて、病気に対する新たな悩みが生まれているのも事実です。

お釈迦様の出家の動機は、「生老病死」という四つの苦しみに対する人生の無常を感じられたからです。生れてくる苦しみ、老いていく苦しみ、病の苦しみ、そして死に対する苦しみ、どの苦しみも大変な苦で、しかも私達には避けて通れないものです。

お釈迦様の時代の苦しみは、医学や科学が進んだ現代でも、やはり苦しみのままで無くなってはいません。

病気は苦しくてつらいものです、老いてゆく自分を見つめるのもつらいものです。時にはそんな自分に腹が立ったり、ひがんだり、恨んだりしがちなのが私達です。

日蓮大聖人は私達に「命にまさる宝なし」、また病気に苦しんでいる人々には「病ある人、仏になるべし、病によりて道心はおこり候」と説かれています。

すなわち病気になったことによって、また老いてゆく身心を感じた時、人は人生の真実に目を向けて、人間のあるべき姿を考え、そして仏の道を歩む心(道心)を起こすことが出来るのだと教えられております。

人生はいつも健康な時ばかりではありません。誰にでも避けられない病気に苦しむ時、年の老いるに従って身心共に衰える事から起こる苦悩が来ます。でもその時に「道心」、つまり信仰への入り口と受け止めて、仏になる仏道修行であると、迎え入れることが出来たなら、いろんな苦悩も半減され、生かされている命に、“有り難い”という感謝の心が起こるのではないでしょうか。

『命と申す物は一身第一の珍寶なり、一日なりともこれをのぶ(延)るならば、千萬兩の金にもすぎたり。(中略)閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし。日輪のごとくなる智者なれども夭死にあれば生ける犬に劣る。』
(可延定業書)
生かされている命

この御書は、大聖人がご病気になられた方に慰問として送られたお手紙の一節であります。命という物は、人間の一番の宝であり、一日でも長く生きれば、千萬兩の金にも勝るものである。世界で一番の国王になっても、どんなに偉くなっても短命であれば、草よりも犬よりも、はかないものである、と言われています。

生かされている命。私達は御本仏様から授けて頂いた命を持つ仏様の子供であります。誰にもこの命を奪う事は許されません、勿論、本人自身にもありません。私達は生きていかなければならないのです。仏様の命を生きているからこそ、“生きている”それだけで人間には何物にもかえがたい「価値」があるのです。何不自由なく暮らしている人達、病気で苦しんでいる人達、何度も挫折を繰り返している人達も皆、“生きている”と云うことが一番の「価値」なのです。だから人の命は「尊い」のです。私達は御本仏様に、この尊い命を授けて頂いた事、守って頂いている事に感謝しなければなりません。それが御題目『南無妙法蓮華経』をお唱えする事なのです。

生きる事のむずかしさ、老いる事のさびしさ、病ある時のつらさ、死ぬ事の悲しさ。これらの苦悩は私達が生きる限りつきまといます。この苦しみを真摯に受け止められたなら、必ず真の「よろこび」を知る人になれるでしょう。たとえ目には見えずとも、生かされている命を生きる仏の子である私達を、絶えず御本仏様は見守ってくださっているのです。

イラスト 小川けんいち

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