日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#005
生きて救われる

日蓮宗霊断師会 総務部 部員
岩手県遠野市法華寺聖徒団
阿部 是眞

生きて救われる

法華経の譬喩品(ひゆほん)というお経に「三車火宅(さんしゃかたく)の譬え」というお話があります。

「あるところに大金持ちがいました。ずいぶん年をとっていましたが、財産は限りなくあり、使用人もたくさんいて、全部で百名ぐらいの人と暮らしていました。主人が住んでいる邸宅はとても大きく立派でしたが、門は一つしかなく、とても古くて、いまにも壊れそうな状態でした。ある時、この邸宅が火事になり、火の回りが早く、あっという間に炎に包まれてしまいました。主人は自分の子どもたちを助けようと捜しました。すると、子供たちは火事に気付かないのか、無邪気に邸宅の中で遊んでいます。この邸宅から外に出るように声をかけますが、子どもたちは火事の経験がないため火の恐ろしさを知らないのか、言うことを聞きません。そこで主人は以前から子供たちが欲しがっていた、おもちゃを思い出します。羊が引く車、鹿が引く車、牛が引く車です。主人は子どもたちに『おまえたちが欲しがっていた車が門の外に並んでいるぞ!早く外に出てこい!』と叫びます。それを聞いた子どもたちが喜び勇んで外に出てくると、主人は三つの車ではなく、別に用意した大きな白い牛が引く豪華な車[大白牛車(だいびゃくごしゃ)]を子どもたちに与えたのでした。」

これは次のようなことを意味しています。つまり登場人物の主人が仏で、子どもがわれわれ衆生です。邸宅の中(三界)に居る子どもは火事が間近にせまっていても、目の前の遊びに夢中で(煩悩に覆われて)そのことに気付きません。また、主人である父(仏)の言葉(仏法)に耳を傾けることをしません。そこで、主人は子どもに三車(声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんがくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう)の三乗の教え)を用意して外につれ出し助け、大きな白い牛が引く豪華な車(一乗の教え)を与えたのです。

私にそのことを教えてくださったのは当聖徒団聖徒の『Kさん』でありました。

ある時、Kさんのお宅に月参りのお経に伺った時のことです。お経も終わりお茶を飲んでお話をしていましたら、Kさんが、『お上人さん、今度自分の事を「教誌よろこび」の記事にしてもらえないかね~』とお話をしてこられました。「どのような事を載せたいですか?」と尋ねますと、実は・・・と話してくださいました。

平成二十一年四月二十六日の夜、急に腹痛を起こし、次の日の朝、急いで病院へ行き診察してもらいました。医師から早急に検査が必要との診断をいただき、さらに検査していただいた所、胆管癌が見つかり、さらに心臓、肝臓にも転移がみられ、手術で腫瘍を摘出する事になりました。

同年五月十九日に手術。胆管癌の腫瘍は切除しましたが、膵臓、肝臓には全く転移がなく、倶生神様に御守護戴いたことを是非「よろこび」に載せたいというお話で、原稿の執筆を依頼してKさんのお宅を後にしました。

Kさんは夫婦そろってとても信仰熱心で、お寺の行事は皆勤賞といって良い程お参りされていて、自宅で毎日のお勤めも欠かさずされていました。

手術の為、入院する当日にも寿量御本仏様の前で手術成功のお勤めをし、団長上人に電話で「今から行ってきます」と挨拶をしてから入院されるほど真面目な方ですが、団長上人にこの話をした所、最初は表情がこわばったものの賛成を戴き、原稿の完成を待つことにしました。

数カ月後、原稿が出来上がったと言う事でお宅へ伺い、いつもの様にお茶を飲んでいた所、そのKさんの居ない隙にご家族から衝撃的な事実を聞かされました。

実は手術の際、心臓、肝臓に腫瘍が散らばっていて全てを摘出することが出来ず、その事実を本人に黙っていてほしいと医師に頼んだというのです。

私はその時、団長上人に相談した時の表情のこわばりは「この事だったのか」と気付かされ、真実を知った私は掲載する事を諦めるしかありませんでした。

宗祖大聖人
「病によりて道心はおこり候か。」
[妙心尼御前御返事(みょうしんあまごぜんごへんじ)]

しかし、それからというもの奥さん、娘夫婦、孫、ひ孫さんまでが、Kさんが一日でも長く生きられるように倶生神月守を持ってお題目を一心に唱え続ける毎日。団長上人と私も陰ながらKさんのことを祈るお題目の日々が続きました。

毎日、毎月、毎年、その祈りは続き、寿命は三年も延命し、家族の皆様に看取られ、一人一人がお名前を呼びかける中、とてもとても穏やかな顔で霊山浄土へと旅立たれました。

ご葬儀も終わり、何日かが経ち、「よろこび」に掲載する予定だったあの原稿を読み返すと、驚きました。勿論病気の事も書いてありましたが、その内容は自分の人生は苦しい時も、悲しい時も、楽しい時も家族と過ごせて幸せだったと、『倶生神月守』を信じて常に着帯し「南無妙法蓮華経」と唱え続け、“生きて救われた”ことへの報恩感謝の気持ちのこもった家族への感謝の気持ちがあふれた文章でした。

宗祖大聖人
「今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱え奉る時、大白午車に乗じて直至道場するなり。」
[御義口伝(おんぎくでん)]

お題目に生きる

「南無妙法蓮華経」と唱え奉る時、大白牛車たる一仏乗の南無妙法蓮華経により、煩悩即菩提、生死即涅槃と転じ、即身成仏することができるとおっしゃられております。

きっとKさんは魂の中では、病気も寿命も全てがわかっていて、家族の皆さんへ、疑う心なくお題目を一心に唱え続けていく中に『生きて救われる』南無妙法蓮華経の道が現れるという最後のメッセージを残したかったのでしょう。

 

Kさんは大切な大切な「信仰の相続」をされて、旅立たれていかれました。

私たちは、苦しいとか悲しいとか思い通りにならない気持ちというのは一生の間、何度も何度も経験し続けます。

しかし、そんな時こそ、疑いの心を持つことなく倶生神月守を着帯して「南無妙法蓮華経」と一心にお題目をお唱えしていく中に、『生きて救われる道』が現れてくるのです。

イラスト 小川けんいち

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