第8回 現代によみがえる阿仏坊(あぶつぼう)夫婦

続 編

岐阜県郡上市妙法寺聖徒団団長
三木 一乗

夫・八十五歳、妻・八十四歳、聖徒である老夫婦のお話しです。この法話は、平成二十三年十二月一日発刊、よろこび法話の続編となります。それでは前回のあらすじから。

日蓮が弟子檀那等は此山を本として参るべし。此則ち霊山の契り也。(中略)縦いづくにて死候とも、九箇年の間、心安く法華経を読誦し奉り候山なれば、墓をば身延山に立させ給へ。未来際までも心は身延山に棲む可く候。

波木井殿御書(はきいどのごしょ)

団長である筆者は、十数年来ご縁あって『全国聖徒団結集身延大会』のお手伝いをしております。老夫婦の一助となればと思い、平成二十四年から共に大会に参加するようになりました。しかし、平成二十六年五月二十~二十一日の大会参加後の六月下旬、夫は体調不良となり、一時は寝床から起き上ること、歩くことも妻の介助が必要となりました。病院での検査の結果、全ての数値は正常であり一過性の年齢的な症状であるとの診断でした。

霊断のご教示・五種護符を服し、木剱加持祈祷・施餓鬼供養を修し、一心の祈りもあって日常生活に支障が無い程度までになりました。平成二十七年一月、當山の新年三ヵ日初参りに杖をついて詣でたおり、老夫婦は「今年も身延大会(五月二十三~二十四日)に行きたい。最後になるかもしれないから、お祖師さまに感謝の祈りを捧げ、身延に行ったら毎回お参りしている寺院・宿坊、商店にお世話になったご挨拶を直に伝えたい。そのため身延は坂道ばかりだから、いま家の中で意識的に歩くようにしている。暖かくなったら近所を散歩し、徐々に距離を延ばす。《身延参り》する。それが今の最大の目標。」とのことでした。筆者も、その意を助力すべく今年も同伴を約束しました。

法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には「若し法を聞くこと有らん者は、一人として成仏せずということ無けん」と、説かれて候。

妙一尼御前御消息(みょういちあまごぜんごしょうそく)

このお言葉の意は、法華経・お題目を信じる人は、季節でいうと冬の中にあるようなものです。冬は必ず春となります。それと同様に、法華経・お題目を信じる人も希望がしだいに開けて行くのです。いまだに昔から聞いたり見たりしたこともありません、冬が秋に逆戻りしたなどということを。それと同様に、いまだ聞いたことがありません、法華経を信じる人が凡人に戻ってしまったなどということを。方便品には「もし法華経を聞いた人は、一人として成仏しないことはない」と説かれています。

法華経・お題目の信仰とは、昨日に感謝し、今日に祈りを捧げ、明日に希望が開けることを信じ、実践し、そして体感する信仰なのです。

日蓮宗全国霊断師会連合会の教誌「よろこび」に連載中の大人気企画「よろこび法話」をホームページでもお読みいただけます。